岐阜城

岐阜城

岐阜城は日本の岐阜市にある歴史的な城郭で、かつては稲葉山城と呼ばれていました。戦国時代には斎藤道三が居城としており、後に織田信長によって攻略され、名前も「岐阜」に改称されました。信長はこの城を天下統一の本拠地として、多くの斬新な政策を実施し、城下町を繁栄させました。
昭和31年に現在の鉄筋コンクリート造りの城が復興され、多くの人々に親しまれる観光名所となっています。展望台からは美しい風景が360度楽しめ、夜間はライトアップされて幻想的な姿を見せます。
岐阜城は標高329メートルの金華山にあり、遠くには恵那山や木曽御岳山、乗鞍、日本アルプスなどが見えます。清流長良川が市内を流れ、多くの山々が周囲に広がる壮大な景観が特徴です。歴史、自然、美景と三拍子揃ったこの城は、多くの観光客や歴史愛好者を引きつけています。
関ヶ原の戦いでは織田秀信が西軍に味方し、城は東軍によって落とされました。現在もその歴史と風格を保ち、岐阜城は岐阜市の象徴として、また夜景スポットとしても人気を博しています。

基本情報

名称
岐阜城 (ぎふじょう)
所在地
〒500-0000 岐阜県岐阜市金華山天守閣18番地
アクセス
JR岐阜駅(11・12・13番乗り場)または名鉄岐阜駅(4番乗り場)からN系統(長良橋方面)及び市内ループ左回りバス乗車。「岐阜公園・歴史博物館前」下車 徒歩3分で岐阜公園(岐阜城へは公園内金華山ロープウェー(4分)→ 徒歩8分 → 岐阜城)
料金:片道220円
運行間隔:約5分毎 所要時間:15分
消費税率の改定により料金が変更になる場合があり
※金華山山頂・岐阜城へ車で行くことは出来ません。
駐車場
岐阜公園駐車場
営業時間
3月16日~5月11日 9:30~17:30
5月12日~10月16日 8:30~17:30 ※当面の間9:30開館としています。
10月17日~3月15日 9:30~16:30
※元旦のみ 6:30~16:30
定休日
年中無休
料金
大人(16歳以上)200円
小人(4歳以上16歳未満)100円
連絡先
電話番号:058-263-4853
FAX番号:058-263-4853
公式サイト

マップ

詳細情報

岐阜城は、かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567年)(一説に永禄7年)8月、不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。
現在の城は昭和31年7月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたものです。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。 また、金華山一帯は平成23年(2011年)に「岐阜城跡」として国史跡に指定されています。
岐阜城は現在築城されている城郭のうちでは、有数の高さ(標高329メートル)にあり、最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なっています。また西には伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には濃尾の大平野が豊かに開け、木曽の流れが悠然と伊勢湾に注いでいるさまを一望におさめることができます。
岐阜城跡は山上の城郭部分と山麓の居館部分を中心とした城であり、その間を結ぶ登城路や山中の要所に配された砦、そして何より山そのものが天然の要害として機能していました。岐阜城跡の歴史的価値をまとめると、次の3点に集約されると考えられます。
▸織田信長公が天下統一の拠点とした城であること。
信長公が岐阜城の後に築城した安土城は近世城郭の出発点ともいわれていますが、岐阜城跡には石垣のほか巨石列を用いるなど、その構築技術に近世の先駆けともいえるさまざまな要素が窺えます。岐阜城跡は中世から近世への転換期にあたる日本史上重要な城といえるでしょう。
▸ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスらの詳細な記録が残されていること。
岐阜城跡にはルイス・フロイスや山科言継(やましなときつぐ)等が訪れており、その際の記録から城の構造の一端が分かります。文献の記述と遺跡の対比ができる点でも稀有な遺跡といえます。
▸日本庭園史の中でも貴重な庭園跡が見つかっていること。
山麓の織田信長公居館跡では巨石列だけでなく周囲の岩盤など自然地形を巧みに利用して、全体的に「見せる」ことを意識した造りとなっています。また庭園遺構のうち、最奥部で確認された園池遺構は、池の構造や立地などから京都の東山殿(ひがしやまどの)(現在の銀閣寺)との類似性が指摘されており、将軍の伝統や権威を継承しようとした一面がうかがえます。
▸史跡岐阜城跡保存活用計画
斎藤道三公による築城以前の金華山(稲葉山)は、和歌に詠まれる景勝地や伊奈波神社と密接に関係する信仰の山として知られており、この地に城が築かれる素地となったと考えられます。つまり、豊かな自然をベースに形成された古来よりの信仰対象や景勝地等の特別な山であったからこそ、戦国時代に至って城郭に利用されたと考えられるのです。また廃城後も尾張藩主の御成(おなり)や鹿狩等の場として、さらに近代以降には岐阜公園と一体でレクリエーションを楽しむ憩いの山となるなど、城跡である金華山はさまざまな利用がされてきました。このように金華山には城跡だけでなく、自然、信仰、景観、公園としての価値があるのです。
岐阜市では、このような金華山の歴史的変遷と価値の重層性を踏まえたうえで、将来にわたり守り伝えるための『史跡岐阜城跡保存活用計画』を令和3年12月に策定しました。今後も大切な地域の宝である岐阜城跡(金華山)の保存活用について、市民の皆さんと一緒に取り組んでいきたいと考えています。