鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は、相模国の一宮であり、宇佐八幡宮(大分)、石清水八幡宮(京都)と並ぶ三大八幡宮の一つです。ミシュラン三ツ星に認定された鎌倉を代表する観光地で、源頼朝によって現在の地に遷座されました。神社の歴史は源氏の祖・源頼義が1063年に京都の石清水八幡宮を勧請して由比若宮(現在の元八幡)を設立したことに始まります。
1180年に源頼朝が鎌倉に入ると、この由比若宮を現在地に移し、「鶴岡八幡宮新宮若宮」と名付けました。1191年の火災後、頼朝は上宮(本宮)を新造し、今日見られる形となっています。この神社は武家、特に鎌倉武士の精神的な拠点であり、流鏑馬(やぶさめ)という神事が有名です。
江戸時代までは神仏習合の形態をとっていましたが、明治の神仏分離政策により、多くの仏堂が撤去されました。現在の本宮は1818年、江戸幕府の十一代将軍・徳川家斉によって修築され、若宮は1626年、二代将軍徳川秀忠によって造営されました。
祭神は応神天皇、神功皇后、比売神の三柱で、武家による篤い崇敬を受け、時代を問わず多くの訪れる人々で賑わっています。鶴岡八幡宮は、源氏、足利氏、後北条氏、豊臣氏、徳川氏など、多くの武家に崇敬されてきた、日本の歴史と密接に結びついた重要な神社です。

基本情報

名称
鶴岡八幡宮 (つるがおかはちまんぐう)
所在地
〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
アクセス
JR横須賀線
JR湘南新宿ライン
「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分
江ノ島電鉄
「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分
駐車場
あり
営業時間
10月~3月:
6時~21時
4月~9月:
5時~21時
連絡先
電話番号:0467-22-0315
FAX番号:0467-22-0315
公式サイト

マップ

詳細情報

鶴岡八幡宮は、もとは1063(康平6)年に源頼義が平忠常を打ち取れたことを喜び京都の石清水八幡宮をひそかに勧請し由比ガ浜辺り(現在、元八幡のある場所)に鎮座した由比若宮にはじまります。
それから約120年後の1180(治承4)年、頼義の5代後にあたる源頼朝が鎌倉に入った時祖宗を崇めるために由比若宮社を小林郷の北の山(現在の下拝殿付近)に社をかまえて奉還しました。
1191(建久2)年に火災にあいましたが、頼朝は後ろの山の中腹を切開きあらためて石清水八幡宮の分霊を勧請して装いを新たに鶴岡八幡宮を創建しほぼ現在の上下両宮配置となりました。
祭神は八幡大神とされる応神天皇・神功皇后・比売神の三柱です。
頼朝は平安京であれば内裏にあたる位置に八幡宮をおき自分の屋敷や幕府を八幡宮の東側の離れたところに造ってお宮に仕える真心を表しました。
鶴岡八幡宮は鎌倉武士の精神的団結の拠点であり幕府の重要な政策はそこで神意を問う形で実施されました。頼朝が八幡宮を信仰したので諸国の武士たちもこれを手本にし国中に数多くの八幡宮がまつられるようになりました。
頼朝の死後も執権を務めた北条氏をはじめ足利氏や豊臣秀吉・徳川氏などの時の最高権力者も再建、復興に努めるなど時代を問わず篤い崇敬を受けている鎌倉のシンボル的存在です。
鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の守護神であると同時に宗教政策の要として幕府の各種公式行事が執り行われるなど最も重要な位置にあった神社です。
頼朝が始めたとされる初詣をはじめ、今もなお、年間を通じて様々な伝統行事が行われています。
中でも幕府の最重要宗教行事として始まった放生会の伝統をひく例大祭は流鏑馬神事の奉納を含め、毎年9月に実施されています。
鎌倉の歴史を見守ってきた大石段横の大イチョウは2010(平成22)年3月10日未明、強風により倒伏してしまいましたが現在はヒコバエ(若芽)が若木となり隣に移植された御神木(親銀杏)とともに成長しています。なお、幹の一部は鎌倉文華館内で、間近に見ることができます。