名古屋城

名古屋城

名古屋城は、日本の歴史や文化において重要な場所であり、名古屋市の象徴とも言える観光名所です。1610年(慶長15年)、徳川家康が大坂の豊臣家への備えとして築城を開始。この築城は西国大名20家、加藤清正や福島正則などが参加した「天下普請」と呼ばれる大規模なプロジェクトでした。
名古屋城は金鯱(金のシャチ)を戴く壮麗な天守閣、豪華な本丸御殿、広い二之丸庭園などを備え、近世城郭の完成形とされています。この城が築かれたことで、当時の清須から「清須越」と呼ばれる大規模な町の移転が行われ、現在の名古屋市の原型となる碁盤割りの城下町が形成されました。
この名古屋城は、260年にわたり尾張徳川家の居城として栄えました。戦災で一度は焼失しましたが、1959年に天守閣が再建され、さらに2018年には10年の復元工事を経て本丸御殿が全面公開されました。毎日、名古屋おもてなし武将隊が城内で訪れる人々を歓迎し、土日祝には演武も披露されます。
名古屋城は国の特別史跡にも指定されており、名古屋のまちづくりの起点ともなっています。これからも多くの人々にその歴史と美しさを語り継がれるでしょう。名古屋を訪れた際には、是非この歴史的な名所を体験してください。

基本情報

名称
名古屋城 (なごやじょう)
所在地
〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1
アクセス
なごや観光ルートバス『メーグル』「名古屋城」下車
地下鉄名城線「名古屋城」駅下車。7番出口より徒歩5分
駐車場
有り/有料 ※利用可能日:1月2日から12月28日
【正門前駐車場】普通車308台
 利用可能時間 8:45~21:30(宵まつり期間は~22:00)
 ◎普通車 180円/30分以内ごと
 ◎自動二輪車・原付 100円/30分以内ごと
【二の丸東駐車場】普通車123台
 利用可能時間 8:30~22:30
 ◎普通車 180円/30分以内ごと

※ 駐車場についてのお問い合わせ先
  名古屋城振興協会(052-231-1655)
営業時間
9:00~16:30(本丸御殿入場は~16:00)
定休日
12月29~31日、1月1日は休み (但し、イベントによる変動有り)
料金
【観覧料】
大人500円、中学生以下無料
名古屋市内在住65歳以上100円
※ 名古屋市内在住65歳以上の方は、住所・年齢及び本人であることを確認できる書類を持参してください
※ 料金は変更になる可能性がございますので公式サイト等でご確認ください
連絡先
電話番号:052-231-1700(名古屋城総合事務所)
FAX番号:052-231-1700(名古屋城総合事務所)
公式サイト

マップ

詳細情報

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1610年(慶長15)、
大坂の豊臣方への備えとして、名古屋城の築城を開始します。
築城を命じられたのは、加藤清正、福島正則など、豊臣家に従ってきた西国大名20家。
これを天下普請(てんかぶしん)といいます。
徳川の威信をかけて築かれた名古屋城は、金鯱を頂く巨大な天守、絢爛豪華な本丸御殿、
広大な二之丸庭園、高い石垣と深い堀、堅固で巧妙な縄張などを備え、近世城郭の完成形
といえるものでした。
名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えます。
築城にあわせて清須から町ぐるみの引越し「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる、碁盤割(ごばんわり)の城下町が形成されました。
名古屋城は往時の姿をよく伝える国内屈指の城郭として、国の特別史跡に指定されています。
名古屋のまちづくりの原点であり、名古屋文化を物語る名古屋城。
次代に語り継ぐべき、近世城郭の真髄に出会えます。
▸本丸御殿(焼失・再建)
1615年(慶長20)、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として建てられた、日本を代表する書院造の建物です。近世城郭御殿の最高傑作といわれ、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定されました。1945年(昭和20)の空襲により惜しくも焼失しましたが、江戸時代の図面など貴重な史料をもとに正確に復元工事を進め、2018年(平成30)、絢爛豪華な往時の姿が蘇りました。
▸名勝 二之丸庭園
歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に設けられました。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。明治期に御殿とともに庭園も一部を除いて取り払われましたが、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値ある遺構が残されていることがわかり、2018年(平成30)、庭園のほぼ全域が名勝として指定されました。
▸重要文化財 西南隅櫓
本丸の南西隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建てられました。外から見ると屋根は二層ですが、内部は三階の櫓となり、珍しい形式とされています。二階西面と南面には、敵を攻撃するための石落しを張り出して屋根を付けています。
▸重要文化財 東南隅櫓
本丸の南東隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建てられました。西南隅櫓(すみやぐら)と同じ構造で、三階東側の屋根の軒には弓なりになった軒唐破風(のきからはふ)という格式の高い装飾が施されています。
▸重要文化財 西北隅櫓
御深井丸の北西隅に位置し、1619年(元和5)頃に建てられました。外観三重、内部も三階の構造で、江戸時代から現存する三階櫓の中では、全国で2番目の大きさを誇ります。
天守閣(焼失・再建)
1612年(慶長17)に完成。1945年(昭和20)、空襲で焼失しましたが、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物として再建されました。現在は、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するために閉館しています。
▸重要文化財 表二之門
1612年(慶長17)頃に完成。本丸の南側にある門で、門柱や扉に使われている木材は太く、鉄板を打ち付けて堅固に造られています。門の両側にある袖塀は土塀で、鉄砲を撃つための穴、鉄砲狭間(てっぽうざま)が開いています。
▸重要文化財 旧二之丸 東二之門
1612年(慶長17)頃に完成。主柱と左右の控柱にも屋根をのせた高麗門(こうらいもん)形式で、門柱や扉などに帯状の鉄が打ち付けられています。かつては二之丸東鉄門跡にありましたが、1972年(昭和47)、当時の部材そのままに本丸東二之門跡に移築されました。
▸正門(旧榎多門 焼失・再建)
本丸へ至る正門は、藩主や年寄職など一部の家臣しか出入りできない格式高い門でした。1910年(明治43)に旧江戸城内の蓮池御門が移築されましたが、戦災で焼失したため、1959年(昭和34)、天守閣とともに再建されました。
▸茶席
御深井丸(おふけまる)の庭内、約2,000㎡の中に、書院、猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)、又隠茶席(ゆういんちゃせき)、織部堂(おりべどう)という、いずれも由緒ある茶席が設けられています。
▸西の丸御蔵城宝館
西の丸御蔵城宝館は、西之丸にあった三番蔵と四番蔵の外観を再現した展示・収蔵施設です。名古屋城の御蔵があった場所に、名古屋城が所蔵する「宝」と名古屋城の「情報」を紹介する施設という意味で「城宝館」と名付けました。
名古屋城の歴史を紹介する「歴史情報ルーム」、国指定重要文化財名古屋城本丸御殿障壁画を始めとした名古屋城所蔵品等を公開する「展示室」をとおし、名古屋城の歴史・魅力を楽しく、深く学んでいただけます。
▸石垣・清正石
徳川家康の命により、元豊臣家臣の外様大名20家が石垣工事を行いました。石垣の石には各大名の目印が刻まれています。最大の巨石は「清正石」と呼ばれ、加藤清正が運んだと伝えられていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。
▸埋御門跡
二之丸庭園の西方に藩主脱出用の門が設けられていました。いざというときは、土塀の下方に造られた門をくぐって階段で空堀へ下りると、舟で水堀(御深井大堀)の対岸へ渡り、そこから逃走できるようになっていました。
▸乃木倉庫
御深井丸(おふけまる)に残る明治期の建物で、弾薬庫として建築されました。名の由来は、陸軍少佐・乃木希典(のぎまれすけ)からとされていますが確かではありません。空襲による焼失を免れ、事前に避難させてあった多くの障壁画や天井画が守られました。
▸天然記念物 必勝カヤの木
樹齢600年以上と伝えられる天然記念物「榧(かや)の木」。尾張藩初代藩主・徳川義直が大坂の陣に出る際、勝利を祈って、その実を食事の膳に盛ったと伝えられています。