上高地

上高地

上高地は北アルプスに位置する日本を代表する山岳リゾートで、標高約1,500mの美しい高原に広がっています。四季折々の風情が楽しめ、雄大な穂高連峰や透明度が高い梓川、幻想的な大正池や明神池など、多くの自然の宝が集まっています。特に河童橋からの穂高連峰の眺望は息を呑むほど美しく、河童橋は上高地のシンボルとも言えます。
アクセスは高山市から平湯温泉を経由してバスで約90分。その途中で北アルプスの壮観な景色を堪能できます。観光だけでなく、ハイキングやトレッキングも楽しめるため、アウトドア好きからも愛されています。上高地は、英国人宣教師W・ウエストンによって世界に紹介され、「日本近代登山の父」と称されています。
四季それぞれに特色があり、春は新緑、夏は清涼な風、秋は美しい紅葉、冬は静寂な雪景色と、一年を通して訪れる価値のある観光地です。上高地で多彩な自然と歴史を感じ、心を癒してみてはいかがでしょうか。

基本情報

名称
上高地 (かみこうち)
所在地
長野県松本市安曇上高地
アクセス
[バス]シャトルバス「上高地」
美しく豊かな自然を維持し続けていくため、上高地は通年マイカー規制です。
長野県側の沢渡(さわんど)地区、岐阜県側の平湯温泉地区より運行しております
「上高地シャトルバス」にお乗り換えが必要となります。
駐車場
駐車場 なし
営業時間
施設により異なる
連絡先
電話番号: 0263-95-2433(上高地インフォメーションセンター)
FAX番号: 0263-95-2433(上高地インフォメーションセンター)
公式サイト

マップ

詳細情報

▶上高地のランドマーク・河童橋
上高地の中心にあるシンボル的な存在といえば河童橋。現在のつり橋は、1997年に架け替えられた5代目で、長さは約36m、幅は約3m。最初の橋がいつごろ架けられたのかは記録に残っていませんが、以前は、両岸から木材を架けた跳ね橋だったとのこと。1910年につり橋になりました。橋周辺は上高地きってのにぎわいをみせるエリアで、土産物店やレストラン、ホテルが並びます。橋から梓川をのぞくと、春にはケショウヤナギの緑、秋には色とりどりの紅葉が水面に移り、見上げれば、壮大な穂高連峰や焼岳が望めます。
▶突如現れた神秘の池・大正池
河童橋から少し南にいくと現れるのは穂高連峰や焼岳が映り込む、鏡面のような美しい水面。大正池は昼間だけではなく、夕暮れや早朝など、時間によってさまざまな表情を見せてくれます。雨上がりはもやが立ちのぼり、幻想的な雰囲気に。空が大きく開けた大正池周辺は、夜ともなれば漆黒の闇に包まれ、星空観察のスポットになります。晴れた日の夜、空を埋め尽くす星の輝きは、宿泊した人だけが堪能できる極上の光景です。上高地帝国ホテルなど屈指のリゾートホテルがあるほか、小梨平キャンプ場、徳沢キャンプ場、横尾野営場の3つのキャンプ場もあり、さまざまな旅の形が楽しめます。
大正池は、大正4(1915)年6月、焼岳の大噴火により、大量の熔岩や泥流に梓川がせき止められてできました。その際、水没した木々が立ち枯れとなり、神秘の景観をもたらしています。当初は、河童橋と現在の大正池のおよそ中間に位置する田代橋あたりまでが湖になっていたとも言われています。
▶四季の移り変わりを感じる田代池・田代湿原
河童橋と大正池を結ぶ上高地自然研究路の途中、カラマツ林に囲まれた田代池があり、霞沢岳や六百山を通ってやってくる伏流水がこんこんと湧き出しています。
原生の森を抜けた先にある田代湿原は、穂高連峰の眺望が素晴らしく、三脚を用意して写真を撮る人の姿も多く見られます。開山直後は霜が降りることもありますが、初夏にかけては新緑が輝き、オレンジ色のレンゲツヅジが咲きます。夏の盛りを過ぎると、徐々に色合いが移り変わり、秋にはセピア色に包まれます。11月に入り、閉山間際には再び霜が降り、白くきらめく風景が広がります。
▶北アルプスの総鎮守「穂高神社」の神域・明神池
明神池には、ひょうたんのような形でつながる一之池と二之池、そして遊歩道脇に三之池があります。針葉樹に囲まれた池の間近には明神岳がそびえ、美しい風景を生み出しています。
池畔に鎮座するのは穂高神社奥宮。御祭神は穂高見命(ほたかみのみこと)で、日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護の神様です。山の恩恵に感謝し、登山の安全を祈願する参拝者が絶えません。毎年10月8日には、御船神事として穂高神社奥宮例大祭(明神池お船祭り)が行われ、平安装束に身を包んだ神官が雅楽の調べとともに、2艘の船で周遊します。
上高地をくまなく歩こうとすると5時間ほどを要します。はじめて上高地を訪れる人は、プロガイドと歩くのもおすすめです。

▶上高地を世界に称賛した登山の先蹤者たち。
上高地の歴史を振り返ると、ウォルター・ウェストンと上條嘉門次の2人の名前がよく出てきます。英国人宣教師であるウェストンは、1896年(明治29)に著書『日本アルプス登山と探検』を出版し、自らが登った上高地や穂高連峰、槍ヶ岳を世界に紹介し絶賛しました。これによって、それまで信仰や修行、または生活のための山行きであった日本の登山が、広くレジャーとして知られるようになり、上高地も有名になりました。この功績から、ウェストンは今日でも「日本近代登山の父」として讃えられています。ウェストンの山行きを案内したのは、地元安曇村出身の猟師、上條嘉門次であり、彼の名前はウェストンの著書でも「ミスター・カモンジ」として記されています。
2人の歴史からさかのぼること60余年前、上高地周辺の山に初めて登ったのは、槍ヶ岳に登った富山の僧侶・播隆上人でした。当時は山岳信仰の登山であり、近代登山とは性格が異なりました。播隆は信者を連れて何度も槍ヶ岳に登りました。明治政府が近代化を進めるために外国人技師を多数雇ったとき、英国の冶金技師ウィリアム・ガウランドが1877年(明治10)7月に槍ヶ岳に登り、その記録を雑誌で紹介し、「Japan alps」という表現を使ったことが、今日の「日本アルプス」の語源になりました。日本人登山家の鵜殿正雄が嘉門次と一緒に初めて前穂高岳に登ったのが始まりでした。1916年(大正5)、後の首相である東久邇宮殿下が槍ヶ岳に登るために、島々から徳本峠、明神までの登山道が整備されました。このころから徐々に、大衆登山へと山は開かれ、上高地は観光地として知られるようになりました。
▶山岳リゾートとしての上高地発展の軌跡
上高地は現在、年間120万人もの観光客が訪れる山岳景勝地です。
その由縁は、手つかずの自然が多く残り、大自然の宝庫と呼ばれることにあります。しかしながら、リゾート観光地としての歴史が浅く、一般的な観光客が多く訪れるようになったのは昭和年代に入ってからです。
明治以前、上高地には主に木こりが出入りしており、樹木を伐採していた。明治に入り、地元の島々の上條百次良は許可を得て、夏の間だけ松本周辺で集めた牛や馬を徳本峠を超えて上高地で放牧を始めました。これが上高地牧場の始まりです。牧場は小梨平、明神、徳沢の3箇所に位置しており、特に徳沢は徳沢牧場としても知られています。山々の残雪を背景に、牛や馬が放牧される光景は、古きよき時代の牧歌的な景色として、訪れる登山者に愛されました。
大正4年6月には焼岳が大爆発を起こし、流れ出た土石流が梓川をせき止め、そこにできた池は大正池と命名されました。その後、1927年には上高地が文豪芥川龍之介の小説『河童』の舞台となり、東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部において、上高地が第一に推されました。また、同年には昭和天皇の実弟秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登ったことや、国立公園選定の準備調査の中で、上高地の河原で日本で初めてケショウヤナギを発見したことが話題となりました。
その後、国の名勝および天然記念物に指定され、初の山岳リゾートホテルである上高地帝国ホテルが開業しました。建設にあたっては、釜トンネルを通り大正池まで資材を運び、そこから小船で大正池を運んでホテルを建設したとされています。これらの出来事により、上高地は山岳リゾート地として発展していきました。
上高地の歴史は、自然と人間の共存・調和を求めてきた歴史でもあります。観光ブームが訪れた時期には、その影響によって自然環境が損なわれることが懸念され、それに対する取り組みが行われました。
県道上高地公園線のマイカー規制は、その代表的な取り組みの一つです。自動車による排気ガスの影響を最小限にとどめることで、自然環境を保全し、今後も多くの人々に愛される場所として残すことができました。
また、上高地を管理する国立公園は、自然保護や地域振興を目的に設置されたものであり、その取り組みが継続されています。例えば、登山ルートの整備や山小屋の運営、トイレの整備などが行われ、上高地を訪れる人々が快適に過ごせる環境が整備されています。
上高地は、自然と人間の共存・調和を実現するための様々な取り組みが行われ、今日も多くの人々に愛される場所として存在しています。
▶次代へ、子供たちへ残したい風景・上高地。
上高地ならではの、上高地でしか見ることのできない風景━。上高地の自然保護意識は、すでに100余年前に根付いていたものでした。
上 高地で最初に自然保護の動きがあったのは、1909(明治42)年のことです。すでに高山植物の採取を禁止・保護するようになり、また保護の一方で上高地バスターミナルと小梨平周辺では、1915(大正4)年から約10年かけてカラマツの植栽をしています。
雷鳥、カモシカ、イワナは次々に捕獲が禁止され天然記念物に指定。上高地一帯も天然記念物や国立公園に指定されました。上高地の地元住民の多くが、1963(昭和38)年から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指して、日々道路周辺のゴミ拾い活動を行います。
上高地の自然を次代へ。大自然というかけがえのない、代替のないものを子どもたちへ継承していくこと。それは私たち一人ひとりの使命です。訪れる方一人ひとりの愛情で、上高地を守っていきましょう。
▶日本でも希有、ふたつの称号をもつ上高地。
黒部峡谷と上高地は、日本の自然景観の中でも特に美しく、その自然環境や文化的価値を守るために、「特別名勝」および「特別天然記念物」として指定されています。この指定は、その地域の自然や文化を保護するために国が行う制度で、国の文化財保護法に基づいて行われます。指定を受ける地域は、一般の観光客が自由に入ることができますが、その保護のために立入り制限や規制があることもあります。